第124回 トロッコ電車の秘密 成川正幸さん

2011年6月29日(水)第124回 朝活@富山 を開催しました!
<今回のテーマ>
「 ガイドブックには載っていないトロッコ電車の秘密 」 です。
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「ガイドブックには載っていないトロッコ電車の秘密」

 黒部峡谷トロッコ電車を知ってますか?
 全国のみならず海外からも多くの観光客が訪れる
 富山県の代表する観光地のひとつです。
 駅員→車掌→運転士→整備士→宣伝担当の経験から、
 とっておきの話を内緒で教えます。


今回の進行役は、
黒部峡谷鉄道(株) 営業課営業企画係
成川正幸さんです。
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成川さんから、たくさんのパンフレットや資料をいただきました。
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写真をよく見ると、あら、素敵なお土産も^^♪
成川さんは、黒部峡谷鉄道(株)に入社されたとき、
最初は宇奈月駅に配属されました。
そこで駅員の仕事をしながら、
電車運転免許を取得するための勉強をし、見事合格。
トロッコ電車の運転士をされ、今は、広報活動に従事されています。
るるぶ等の雑誌や、ホームページ、CM(東京・大阪に流れている)、チラシなど
すべて担当し、取材や締切に追われる毎日です。
テレビのロケにも同行し、数々の芸能人とお会いしたそう。
朝活のこの日も、タレントのS・Rさん、K・Hさんがロケで富山に来ておられました。
(アルファベットが秘密っぽいでしょ(^_-)-☆)
<トロッコ電車、なぜ黒部で走りだしたのか? (歴史をひも解く!)>
江戸時代、黒部の山々は、加賀藩のものでした。
その黒部には、一般の人は、立ち入ることを禁止されていました。
なぜなら、山にある大きな木が、当時重宝されていて、
伐採を禁止するためです。
また、山側から攻め入られないようにするためでもあり、
見張り役を立てて守っていました。
たとえ黒部に入った人でも、そこで見たものは、絶対口外するなと、
徹底的に秘密にしていたそうです。
ですが、明治時代に解禁され、多くの登山家や探検家が山に入り
温泉などいろいろなものがあるということがわかり
水も豊富ということで、電力開発が決定。
ダムや工場を作るための資材や人を運ぶために
トロッコ電車が作られた、ということです。
観光客を乗せるようになったのは、
最初から事業としてしていたわけではなく、
観光客から寄付金をもらって、
作業中のトロッコ電車に便乗していました。
ですが、昭和27年に国から辞めるように言われ中止。
黒部峡谷の景色の素晴らしさもあり
国に復帰できるよう陳情書を提出し、
晴れて観光事業としてできるようになりました。(昭和28年)
トロッコ電車の終点は、欅平駅までですが、
これはこの時、国からの許可が欅平までしか下りなかったからです。
黒部峡谷には、国内だけでなく、海外からもたくさんの人が訪れています。
観光客数ランキング(海外)
1. 韓国
2. 台湾
3. 香港
4. 北京・大連
観光客数ランキング(国内)
1. 東京
2. 大阪
3. 愛知
4. 富山
その他、いろいろな秘密を教えていただきました。
成川さんは、黒部峡谷の宣伝担当として、
「富山」についても考えておられます。
富山は、山に囲まれていて、海にも近く、資源がとても豊富です。
ですが、その資源が生かされていない。
これをもっとPRしていくべき。
また、県内の観光地と観光地のつながりが薄い。
富山全体を楽しいところにしたい。
そのためには人と人のつながりを大事にし、
富山県民みんなでおもてなしをすればよい。
成川さんは黒部峡谷だけでなく、富山の未来についても考えられておられ
とても興味深いお話を聞けました。
成川さん、ありがとうございました!

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